人生の短さについて

「人生は短いですよ」

 

都内からすこし離れたところにある茶道教室に数年前から通っている。

 

庭に一本の立派な椿の木があり、いまの時期は赤い花が咲いている。ときおりそれがぼとりと音を立てて落ちる。ただ花が落ちるだけのことなんだけど、その大きさゆえか妙に存在感があって、そのたびにぼくはドキッとする。

 

日が暮れるまえだった。Sさんはいつもより遅れてやってきた。齢60前後にみえる彼は、おそらく20年以上ここに通っている。

 

無地の紺の和服をさらりと着こなすSさんが、「稽古に入るまえにお茶を一服いただけないか」といい、ぼくは先生に促され薄茶を点てた。

 

通常お点前の稽古は一日に一度しかできない。さっき薄茶の稽古を終えたばかりの僕は、Sさんのおかげで二度も稽古ができることに。ありがたい。

 

その点前のあとで、今度はSさんがお茶を点てる。「茶通(さつう)箱」の稽古。初めてみる点前だった。

 

先生も「これは本当は君たちは見られないんだよ。だけど今日は特別に」といって、Mとぼくの同席を許してくれた。

Sさん曰く「茶通(さつう)」の稽古は一年ぶり。緊張していた。「この点前は通常35分で終わらせなければならない」先生はニコニコしながら言った。

 

稽古が終わったあと、茶室でしばし談話。日はもうとっくに暮れていたけれど、慣れない点前を終えた解放感からかSさんは、先生や奥さん、Mや僕のいるまえでいつも以上に饒舌だった。

 

千葉で取り組む自然農法のこと、西洋と東洋それぞれの哲学、現在の禅宗に対する彼の所感を話してくれた。

 

Sさんは自然農法を実践する農家だが、むかしから坐禅にも熱心に取り組んでいるらしい。かつては日本各地の禅寺にも足繁く通っていたそうで、いまの自分の境遇と重ねてしまう。

 

そんなSさんが話のまとめとして、冒頭に書いたことを言った。「人生は短いですよ」

 

「人生は短い。やりたいことをやりきるにはあまりにも短すぎる」

 

つい先日88歳を迎えたばかりの先生もニコニコしながら、「そうですね」とSさんの意見に賛同する。

 

なんでもそうだが茶道も禅も、掘り下げれば掘り下げるほどに深遠で、その道には終わりがない。

 

道を極める者ほど、その道のりの長さに気がついてしまうのかもしれない。Sさんの「人生は短いですよ」の一言があまりにも重かった。

 

20代後半で子供を授かって、30代半ばに突入した今日この頃、やっと僕にもその言葉の一端がわかってきたような気がする。

 

人生は短い。

 

子供が大きくなるにつれ、その親である自分たちの年齢の変化も感じる。いつか母親が言っていたように、あっという間に還暦を迎えるのだろう。

 

焦ることもないけど、悠長に構えている暇もない。

 

やりたくないことをやる時間はないし、やりたいことですら絞る必要があるのかもしれない。

 

帰り道、Mとそんなことを話しながら僕らは都会の光に吸い込まれていった。

リスクのはなし

ずっとリスクをとって生きてきた。

 

というと、かっこいい(?)ように聞こえるけれど、まあ好き勝手に生きてきた。

 

するとあら不思議、おのずとリスクを背負うことになっていたし、その代表格である借金というやつは、いまもブクブクと音を立てて膨れ続けている。

 

「自分でリスクをとってやってみろ」

父親からはぼくが子どもの頃からずっと、それこそ耳にタコができるほど言われてきたので、20代で商売を始めたときからリスクをとることにはあまり抵抗感はなかった。

 

さっきからリスク、リスクとうるさいけれど、決して僕はこの文章で「リスクをとれ」と言いたいわけではない。この世にはリスクを背負うべき人間もいれば、そうでない人間もいる。そうでない人間のほうが大多数だ。

 

ただ、今朝コインランドリーから家までの帰り道を歩きながら思った。

 

「ああ、俺にはリスクが必要なんだ」と。

 

去年、3つあるうちの1つの会社の代表を共同創業者に任せた。任せたというと偉そうに聞こえるかもしれないけれど、借入まわりの事情もあって「頼む!やって!」と無理やり投げた。

 

そのおかげで去年は例年に比べて、胃が痛くなるとか眠れなくなるとかそういった類のことは減った。事業も投資フェーズの真っ最中で、いつだって手元のお金はなかったけれど、こころは落ち着いていた。でもやはり、どこか満たされない部分があった。

 

「リスクをとることでしかやれないことがある」

 

リスクから逃げてみてわかったことは、リスクを背負っているやつにしか下せない判断があるし、リスクを背負ってないやつが下すべきでない判断がある。こうやって書いてみると当たり前のことだ。

 

リスクを負いたくないなら、リスクを負っているやつの意思に添いながら進めるべきだし、どうしても譲れない部分があるなら、自らリスクを背負ってやるべきだ。

 

とにかくリスクを引き受けてくれ、今なお堂々と立っている共同創業者には感謝している。

 

そんなことを考えながら、ベッドで眠る女の子の足元で、彼女の下着をていねいに畳んでいた。